翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・ハレック
・ ヘンリー・ハレット・デール
・ ヘンリー・ハワード
・ ヘンリー・ハワード (サリー伯)
・ ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯)
・ ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯爵)
・ ヘンリー・ハワード (初代ノーザンプトン伯)
・ ヘンリー・ハワード (初代ノーザンプトン伯爵)
・ ヘンリー・ハワード (第13代ノーフォーク公)
・ ヘンリー・ハワード (第13代ノーフォーク公爵)
ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)
・ ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公爵)
・ ヘンリー・ハワード (第7代ノーフォーク公)
・ ヘンリー・ハワード (第7代ノーフォーク公爵)
・ ヘンリー・ハンセン
・ ヘンリー・ハンティントン図書館
・ ヘンリー・ハーツフィールド
・ ヘンリー・ハーディング (初代ハーディング子爵)
・ ヘンリー・ハーバート
・ ヘンリー・ハーバート (第4代カーナーヴォン伯爵)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)[こう]

第6代ノーフォーク公爵、ヘンリー・ハワード(、1628年7月12日1684年1月13日)は、イングランドの貴族。
== 経歴 ==
1628年7月12日、第22代アランデル伯爵とその妻エリザベス(第3代レノックス公爵の娘)の次男として生まれる〔DNB〕。兄にトマス(第5代ノーフォーク公・第23代アランデル伯爵)がおり、長弟に枢機卿となるがいる〔海保(1999) p.165/179〕。
若い頃は海外に滞在していることが多かった。彼が200,000リーブラの借金をして国王の説得に当たった結果、1660年に兄トマスにノーフォーク公爵位の復権が勅許されたという〔。
1661年11月4日にはリンカーン法曹院のメンバーとなった〔。
1665年イングランドに帰国し、1666年11月28日には王立協会フェロー(FRS)となる。ロンドンの大火の後の1667年1月にはの一室を王立協会に提供している〔。
1669年3月27日にに叙され、貴族に列した。翌4月にはモロッコに大使として派遣された〔。1672年にはに叙されるとともに、高祖父第4代ノーフォーク公トマスの代まで世襲していた職位紋章院総裁に就任した(以降2014年現在まで途切れることなくノーフォーク公爵の世襲職であり続ける)。
1673年には議会で審査法が可決成立し、カトリックの国政関与が禁じられた。これについてヘンリーは「祖国は自分にとって常に慕わしい存在なのに、カトリックというだけで祖国への奉仕を禁じられる」と嘆いた。これ以降無気力に囚われるようになり、イングランド外に隠居所を求めることが増えた〔海保(1999) p.213〕。
1677年12月13日には子のない兄第5代ノーフォーク公爵トマスが死去したため、代わってヘンリーが第6代ノーフォーク公爵位を継承したが、トマスは精神障害者としてヘンリーによって死去までイタリアに監禁された経緯があったため、末弟はこれをヘンリーによる公位簒奪と議会に訴えたが、結局この件は不問となった〔森(1987) p.41〕。
1684年1月11日ロンドン・のアランデル・ハウスで死去した。サセックス州に葬られた〔。爵位は長男のヘンリーが継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.