|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
第6代ノーフォーク公爵、ヘンリー・ハワード(、1628年7月12日 – 1684年1月13日)は、イングランドの貴族。 == 経歴 == 1628年7月12日、第22代アランデル伯爵とその妻エリザベス(第3代レノックス公爵の娘)の次男として生まれる〔DNB〕。兄にトマス(第5代ノーフォーク公・第23代アランデル伯爵)がおり、長弟に枢機卿となるがいる〔海保(1999) p.165/179〕。 若い頃は海外に滞在していることが多かった。彼が200,000リーブラの借金をして国王の説得に当たった結果、1660年に兄トマスにノーフォーク公爵位の復権が勅許されたという〔。 1661年11月4日にはリンカーン法曹院のメンバーとなった〔。 1665年にイングランドに帰国し、1666年11月28日には王立協会フェロー(FRS)となる。ロンドンの大火の後の1667年1月にはの一室を王立協会に提供している〔。 1669年3月27日にに叙され、貴族に列した。翌4月にはモロッコに大使として派遣された〔。1672年にはに叙されるとともに、高祖父第4代ノーフォーク公トマスの代まで世襲していた職位紋章院総裁に就任した(以降2014年現在まで途切れることなくノーフォーク公爵の世襲職であり続ける)。 1673年には議会で審査法が可決成立し、カトリックの国政関与が禁じられた。これについてヘンリーは「祖国は自分にとって常に慕わしい存在なのに、カトリックというだけで祖国への奉仕を禁じられる」と嘆いた。これ以降無気力に囚われるようになり、イングランド外に隠居所を求めることが増えた〔海保(1999) p.213〕。 1677年12月13日には子のない兄第5代ノーフォーク公爵トマスが死去したため、代わってヘンリーが第6代ノーフォーク公爵位を継承したが、トマスは精神障害者としてヘンリーによって死去までイタリアに監禁された経緯があったため、末弟はこれをヘンリーによる公位簒奪と議会に訴えたが、結局この件は不問となった〔森(1987) p.41〕。 1684年1月11日にロンドン・のアランデル・ハウスで死去した。サセックス州に葬られた〔。爵位は長男のヘンリーが継承した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|